不滅

L'IMMORTALITE

ミラン・クンデラ『不滅』菅野昭正訳

60歳か、65歳くらいのご婦人のある仕草。異様なほど感動的だったそれは彼女の年齢や人となり、何者であるかということすら押しのけて、抽象化された、純粋で、人格を越えたものだった。「私」=「作者(≒クンデラ?)」は、そのとき目撃したそれに、アニェスという名前を想像した。
ここから始まるミラン・クンデラ『不滅』は、その「ご婦人」ではなく、「仕草」をモデルにしたアニェスを主人公とした小説である。

そうやって第一部「顔」が始まる。クンデラの小説はどれも導入が抜群にスリリングなのだが、この導入はその中でも飛び抜けている。
ある人物の「仕草」を抽象化して、「アニェス」という人物のキャラクターが沸き上がってくる。仕草=action論、イメージ論、そんな「作者」の思索と、この小説のアニェスの物語が、滑らかに、いつの間にか同時に、始まる。いや、始まらなくてはならない。考えるのと同時に創造しているのだから。
読んでいるときの時間の感覚の、不愉快ではない浮遊、(普通の)物語を読んでいるときに、自然と沸き上がってくる自意識の分裂(物語の世界に入っている自分、そんな自分を俯瞰している自分、本のページのシミや汚れに気づく自分、本筋から逸れて言い回しや語彙に関心を向ける自分…)、それが予めこの本には書き込まれているようでもある。そして、この思考の行ったり来たりが全然不愉快ではなく、自然で、自分がそう考えているかのように錯覚しさえもする。むしろこれは私には、小説よりも映画を見ているときによく感じている感覚かもしれない。

そんなアニェスの話である第一部から、小説は突如ゲーテの話である第二部「不滅」へとなだれ込み、以降アニェスの話と交互に語られていく。全七部のこれは重層的な音楽のようだ。
とにもかくにも第一章の興奮。

今日、久々に本棚から引っ張りだして、第一部を読んでみた。付箋が貼ってあったり傍線が引かれてたりしたが、これ何年前だろう。
そんな訳で、第一部のことしか今はちゃんと書けないのであった。

 

 ”L'IMMORTALITE” by Milan Kundera 1990

不滅 (集英社文庫)

不滅 (集英社文庫)

 

もちろん、このブログのタイトルの由来である。
さらに私は、かつて別のタイトルで書いていたシナリオに『不滅』と最後に付けた。
そして、そのあとに書いた別のシナリオも最後はタイトルを『不滅』とするのがしっくりきた。 この小説の映画化では当然ない。
「私」がご婦人の仕草に「アニェス」と名付けたのとは少し違うが、私は「不滅」という言葉と音と字面に、ふとミラン・クンデラの『不滅』から離れて、魅了されている。