不滅

L'IMMORTALITE

沖島勲『WHO IS TAHT MAN!? あの男は誰だ!?』日本、2013年 @ラピュタ阿佐ヶ谷

やはり怖い。でも、少しこれまでとは怖さの種類が違う印象もある。果たしてどうなのだろう。

『YYK論争 永遠の"誤解"』と『一万年、後….。』とは、地続きの作品であった。というか、姉妹編・続編と言えるだろう。さらにその次の、『怒る西行 これで、いーのかしら。(井の頭)』はその発展的解題であった。「あの世」と「この世」の形而上学的な二項対立とは別のところに位置する、曖昧模糊とした、温かみのある、しかしそれゆえに自他の区別が曖昧な幼少時代の恐怖を感じさせる、そういう宇宙と宇宙観に沖島作品の語り≒カメラは座している。

そんな流れで、次なる作品であるこの『WHO IS THAT MAN?!〜』。これまでのドラマ作品が低予算を逆手に取ったようなミニマリズムともいうべきワンセットの映画だったのに比べて、今回は外である。それもどこにでもあるような(複数の)公園がメインの舞台である。

空間は匿名的でありながらも、外には開けていて、様々な人の出入りがある。しかし決して女性は出入りしない。画家だった男が狭い車の中から追い出されたように、ここに来る男は皆追い出された者たちだ。だかた、自由に音楽を奏でる浮浪者たちや、これから収監される犯罪者などは公園には居続けない。

やがて、場所は何度も変えようが、匿名的な「公園」という空間に閉じ込められているように見えてくる。しかも一箇所に長時間いるわけにはいかないので移動まで強いられている。彼らの存在に関係なしに在り続けるような佇まいの緑の公園。『怒る西行〜』の公園の感じが恐ろしいような形で映画になって現出している。そこであたかも劇中劇かのように繰り広げられる語り。作家論でいえば、紛れもない沖島作品だろう。

そんな公園から彼らはパッと姿を消す。悠久の時のほんのとるに足らない一瞬のことであったかのように。

では、そんな彼らを取材していたジャーナリストの男は特権的であったのか、といえば見ての通りそんなことはない、彼も元テレビディレクターの男などと一緒だった。

でも彼は別の公園に行くことができた。

その道中で出会う元大学教授に救われるのは彼ではなく見ている私だった。この教授が九州で教えてたという情報からも、それ以上に外波山文明が演じているということからも、沖島勲自身なのではないか、と想像に易いが、これまで見てきた通り、そこにこだわるとつまらないだろう。

ジャーナリストの男はこの元教授と出会い、話す。この猫の2つの挿話がなければ、この映画は本当に殺伐として恐ろしいばかりの地獄だったろう。そこまでの語りとは質が違う猫への視点。どこかへ行ってしまった猫への最後の呼びかけが、なぜか自身がどこかへ行ってしまうような別れの呼びかけに聞こえる。彼岸の視点。地震津波も俯瞰してしまう彼岸。そこからの声がやっと最後に聞こえてくる。ホッとすると同時に寂しい感じ。

訃報に接した後なので、そういう感慨があるのは間違いない。が、もともとそういう場所に沖島勲はいたのだろうから、半歩くらい、少しだけ彼岸の入っただけなんだろう。