ブラッド・バード『トゥモローランド』アメリカ、2015年 @TOHOシネマズ新宿 スクリーン6
沖島勲『一万年、後….。』日本、2007年 @ラピュタ阿佐ヶ谷
先週、同監督の『YYK論争 永遠の”誤解”』について書いた。
はっきりのとこの、『一万年、後….。』はその続編、姉妹編、変奏であると言えるだろう。
宇宙に果てにカメラが置かれた映画。沖島勲がある宇宙観を映画を通して示していると述べたが、宇宙を捉える、宇宙観を示すには、カメラは宇宙の外に出なくてはならない。宇宙の外、それは空間も時間もない場所…、いや、「場所」ですらない。だからこそ、この映画では、「誰も見ていない風景」を示すことが出来る。個人の思い出と、長き人類の歴史が等価値になる。多分この監督は常にあの世とこの世、片足ずつで立っているいるような人だ。その境界という、非-場所に、「居る」から、このような映画を示し続ける。それはこの劇中では、スタジオ、という枠組みを使って示されている。冒頭とラストに示される全景。これはメタではなく、全て、という意味に見える。
時間と空間とを超越すること、それは、身近な例だと、やはり「死」だろう。
死を想像するとき、浮かんでくる闇。
個人的な思い出だが、子供時代、子供部屋に遺影が飾ってあった。知らない若い男の遺影。祖父らしい。父が三歳のときに亡くなったそうだ。父よりも若い祖父、の遺影、とても怖かった。見ないようにしてもどうしても見てしまう。アルカイックな笑みでずっとこちらを見ている。こちらが見ていないときも常にこちらを見ているという存在感。寝ている体勢の視界に入ってくる。夜中に目を覚ますと、視界に居る。動いて見えたことも何度もあった。凄く凄く怖かった。中学生くらいのときに、母に外してくれ、と、思い切って頼んだ。すんなり受け入れてくれた。母も怖かったらしい。そんなものをずっと子供部屋に飾っていたとは。でも、子供時代は外して、と言えなかった。神聖なもので、そんなことを言っちゃいけない。怖いと思うのは間違っている。と思っていたからだ。母も私が怖いから外してくれと言うのを待っていたのかもしれない。
長くなった。閑話休題。
だから死んだお母さんがおじさんより若い姿で映し出されることも、何の不思議もない。「一万年後」の世界を「あの世」と捉えることは容易だ(YYKで清盛が指摘した「あの世がない」のあの世を描こうとしたのが企画のきっかけかもしれない…)。しかし、「死後の世界」みたいなものより、もっと概念的な無時間、無空間であると思われる。あの世とは何かを真剣に考えた結果の。
後半の妹がみかんを買いに出てからのおじさんと少年の会話シーン。ここが、本当に恐ろしい。暗闇の中ぼんやりと浮かぶおじさんが喋る。間。この間で画面がフリーズフレームになる。一瞬事故かと思わせるが、それよりも、突然の顔面アップのフリーズフレームが恐ろしい。死んだ人間の顔にしか見えない。やがておじさんと少年のダイアローグもずらされていく。(いま、ここの会話内容がどうしても思い出せなくて、ハッとしている…)
DVCAM画質の粗い粒子感の闇がボンヤリとまとわりついて来て、どこかの宇宙でたまたま見つけた映像のような、底知れぬ不安が常に現出してくる。いつも通りギャグによる脱臼も織り込まれて行くのだが、それがどんどん未知の時空間の方への脱臼なのだ。
どうしても謎は残る。唯一この部屋の外をとったシーン、おじさんの少年時代の回想で、みかんを買いに裏の家に歩いて行く。このショットだけは部屋の壁に電波のチャンネルがあって映し出される映像ではなく、スクリーンに現出する生のショットだ。これだけが。これは、『YYK論争〜』の冒頭の常磐御前一行が雪道をゆくシーンに対応しているように思われる。だが、この映画では前の作品のように、答えが用意されていない。未だ謎だ。そう簡単に分からせてはくれない。
先週『YYK論争〜』を見たときは、死を超越した気分になっていたのだが、今、死や闇が、とてつもなく、漠然と、恐ろしいもに感じる。子供のように。
エドワード・ヤン『恐怖分子』台湾/香港、1986年 @下高井戸シネマ
沖島勲『YYK論争 永遠の"誤解"』日本、1998年 @ラピュタ阿佐ヶ谷
- 出版社/メーカー: エースデュース
- 発売日: 2005/03/25
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- 作者: ウィトゲンシュタイン,野矢茂樹
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- 発売日: 2003/08/20
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- 作者: 野矢茂樹
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- 発売日: 2002/04
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godspeed you! black emperor / あるいは、三拍子の宇宙 その2
その1
からのつづき。
2003年にgodspeed you! black emperor(gy!be)は活動を休止させた。ブッシュとそのイラク戦争を、「音楽の力」で止めようとしたが、無力だったことに失望したからだ、とも伝え聞いている、先にも言及した、活動休止前最後のアルバム、
- アーティスト: Godspeed You Black Emperor
- 出版社/メーカー: Constellation
- 発売日: 2002/11/19
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の裏ジャケはこのようなものだ。
このアルバムに払われた金が、どのように軍需産業に流れていくか。それを示したフローチャート図である。
さらにインナージャケットにも
このようにメッセージが記されている。gy!beはそれまで、自らの顔写真さえ撮らせず、商業誌のインタビューにも一切答えないばかりか、あくまでも「表現」「作品」のみで世界に切り込んでいた。音とジャケットのアートワークとライヴの演奏とそこでの16mm実験映画フィルムの投射のというファンダメンタルなバンドであったのだが、この悲壮感は何だろう、と、このアルバムリリース時に思ったことを覚えている。
ただ、このメッセージには震えたことも事実ではあった。
ここにもまだ当時のメッセージが載っている。日本盤CDの帯にも訳出されたメッセージが載っている。
"u.x.o."とは不発弾であり、地雷であり、クラスター爆弾である。”yanqui”とはポスト・コロニアル帝国主義であり、国際的警察国家であり、多国籍企業の寡頭政治である。ゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーは共謀者であり、罪人であり、抵抗勢力である。このニューアルバムはただの音楽である。
たとえメッセージや意味があったとしても、それを言葉で説明することを拒んで来た彼らのこの行動を、そこまで危機感を持っているのだという表現とみなすか、限界とみなすか。
はたして、このアルバムのリリースされた2002年の翌年、2003年にgy!beはいったん活動を休止した。
その報を聞いて、当然凄く残念だった。
しかし、彼らは複数のサブユニットを作り、活動してもいた。その中でも、一番耳に届いてくるのは”a silver mt. zion”系の音だ。gy!beはヴィーカルを一切入れないが、このバンドではヴォーカル曲もある。「系」というのは、このバンドはアルバムを出すたびにバンド名をマイナーチェンジしてくるから。
中でも
Horses in the Sky by Constellation 【並行輸入品】
- アーティスト: Thee Silver Mt. Zion Memorial Orchestra
- 出版社/メーカー: Constellation
- 発売日: 2005/04/05
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このアルバムは凄く気に入っている、1曲目の”GOD BLESS OUR DEAD MARINES”の絞り出すようなヴォーカルに唸った。
God Bless Our Dead Marines (LIVE, GREAT ...
God Bless Our Dead Marines (LIVE, GREAT ...
2つに分かれているが、歌詞の字幕付のライヴ映像。最近初めて見つけて感動した。
他にも、Esmerineなど魅力的な活動がある。
だが、やはりその渦の中心はgodspeed you! black emperorであることは私にとって変わらなかった。
2010年末、gy!beがライヴ活動を再開したらしいという報を知る。そして、2011年2月末に最来日公演を果たしたのだが、悔しくも当時そのライヴに私は行くことが出来なかった。
翌2012年、いよいよ音源も発売された。
Allelujah! Don't Bend! Ascend!
- アーティスト: Godspeed You! Black Emperor
- 出版社/メーカー: constellation
- 発売日: 2012/10/16
- メディア: CD
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もはや、iTunesで落とすことも多くなったのだが、gy!beの作品はジャケットワークも含めてのものであるという認識がとりわけ強いので、CDを買う。いつも紙ジャケで、ビニールを剥がし、中身はどんなんだろう?と見る瞬間から始まっているのだ。そしてぼんやりとアートワークを眺めながらデッキに入れる。おお、これは三拍子ではない。もちろん、以前からそうでない曲もあったのだが、gy!beのキラーチューンは軒並みワルツのビートだったので、代名詞かと思い込んでいたが、十年ぶりに届いたアルバムをデッキに突っ込むとそこには知っているgy!beのサウンドだが、十年分の時間を経過した今のサウンドにもなっていた。「帰って来た」などという常套ではなく、またこうして今、音がある。嬉しかった。
その興奮の余韻の中、翌2013年には新譜を引っさげて(この常套もどうなのかとは思うが、そういうことなのだ)の再びの来日ライヴ。これは借金して行った。
東京2DAYSの1日目。先のニューアルバムの1曲目”Mladic”も当然プレイ。記憶のバイアスのせいと、初見という興奮もあって、2001年のときのような恍惚とした感動は得られなかったが、もう大人なので、PA前の会場中央やや後方でそこの空間全体の音を頂いた。LIQUIDROOMのサウンドは最高だった。このダイナミズムに、映画はどう太刀打ちすれば良いのだろう、悩む。
翌2日目に知り合いが行って、そこでは、”BBF3”をやったと聞いて、羨ましい、とおもったが、自分が見たのも十分良かったのは確かであった。
Karl Lemieuxによる三台の映写機マルチによる16mmフィルムプロジェクションも前回より、意識して見ることが出来た。概ね曲と展開によって決まったフィルムを掛けていることも確認できたし、後方で聞いていると、静寂の間に間に、映写機の走行音がかすかに聞こえてくるのもまた良い。
”Mladic”については、YouTubeに素晴らしいライヴ映像が上がっている。
Godspeed You! Black Emperor - Mladic - YouTube
そして、今年2015年EPも含めて7枚目の音源をさらっとリリースした。
Asunder, Sweet & Other Distres
- アーティスト: Godspeed You Black Emperor
- 出版社/メーカー: Constellation
- 発売日: 2015/03/31
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いつもの儀式、CDのビニルを破り、アートワークを眺めながら、Macに入れる。最後の行程だけ、十年前とは変わった。もう、当然良い、という感想である。どこか肩の力が 演奏者にも、聞き手にも抜けて来たようだ。特に後者だろうか。単に歳を取ったという言い方も出来る。
活動再開後のgy!beのサウンドは、休止直前のヒリヒリした感じは少なく、かといって、日和った軟弱なサウンドでもなく、彼らの今が素直に聞こえてくる。音楽で、本気で世界を変えようとして、出来なかった、これを挫折と呼ぶのだろうか。ドン・キホーテだったのか。何にせよ、それを経た彼らが、再び、他ではないこのgodspeed you! black emperorの名の下に音を日本の私にも届けてくれることは僥倖である。そして、命の糧になっている。
slow riotは失敗していていない。今も続いている。例えば、私の中で。
godspeed you! black emperor / あるいは、三拍子の宇宙 その1
初めて聞いたのがいつだったのか、実は思い出せない。確か2000年前後だったと思う。2001年の初来日の心斎橋のクアトロにいって凄まじく感動したのを良く覚えいてるから。
友人から薦められ借りて、最初に聴いたのがこれだ。
- アーティスト: Godspeed You Black Emperor
- 出版社/メーカー: Kranky
- 発売日: 1999/03/30
- メディア: CD
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文句無しの最高傑作EP。ちなみに私がプロフィール欄とかによく使う「slow riot from new zero tokio!」という文句はこれの捩り。
『MOYA』と『BBF3』の2曲。これを何となくデッキで掛けっぱなしにしているうちに、心と体に染み込んでしまったようだ。初めて聴いた瞬間にピンときたというような記憶はない。当時は「ポストロック」系などほとんど聴かず、グラインドコアばっかり聴いてたし(AxCxとか…)。しかし気がつけば酒を飲んで頭をグラグラさせながら聴きまくっていた。今でも一番好きな曲はと問われれば『MOYA』と答える確率が高いだろう。三拍子のゆったりとしたリズムのミニマルなリフレインに孕まれているスリリングさと力強さと知性。バイオリンとチェロの逼迫していながら滑らか響きに、すんだギター、最後にはグロッケンまで。それが螺旋を描くように増幅していき、聴く者の血を静かに沸騰させる。
Godspeed You! Black Emperor Live at The ...
2001年のライヴの感覚が蘇ってくる。2013年の2度目の来日ではこの曲は演奏しなかった。近年になってプロショット・プロレコーディングと思われる質の高いライブ映像も出てくるようになった。(かねてからブートレグは認めているので(レコーダーを没収しようとした会場側のセキュリティとメンバーが喧嘩になったこともあるらしい)、YouTubeなどに映像は上がってはいた)映像を見れば分かる通り、gy!beは基本8名のメンバーの他に、Karl Lemieuxというメンバーがおり、16mmフィルムのループを三台の映写機で照明は焚かないステージ上に映写している。彼の映像作品が確か去年あたりにイメージフォーラムの特集上映で掛かったらしいのだけど、後で知って後悔している。
さて、借りたCDを返し、リリースされている盤を買うまで時間はかからなかった。
Lift Your Skinny Fists Like Antennas to Heaven
- アーティスト: Godspeed You Black Emperor
- 出版社/メーカー: Kranky
- 発売日: 2000/10/27
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二枚組全4曲の大作。タイトルも素晴らしく、私の生きる指針のようでもある。これはもう買って帰って来てデッキにCDを放り込んだ瞬間から、ビシビシ来た。最初は1曲目の「storm」の冒頭"gathering storm”が一番ピンときた(「MOYA」と相似形の雰囲気もあって、単純に音がだんだん厚くなって壁になっていく様、その中にも爽やかさを感じる春の嵐のような曲)(自主映画に無断で使用した)が、その時々によって違う。例えば今は3曲目「sleep」の中の"Monheim"の悲鳴か叫びか嗚咽かエクスタシーかそのどれか/あるいはすべての感情を含んだギターの音色が好きだ。ほかにも、4曲目「 Antennas to Heaven」の"She Dreamt She Was a Bulldozer, She Dreamt She Was Alone in an Empty Field"も音もタイトルも切なさと希望がある(gy!beは"HOPE"という単語を強く使う。ライヴでもこの単語のシネカリグラフィが必ず映写される)。
Lift Your Skinny Fists Like Antennas to Heaven - Wikipedia, the free encyclopedia
このように、gy!beは組曲のような形式で曲を構成しているので、アルバム全体で一曲とも捉えられるし、一個のトラックもいくつかのパートで構成されていもいる。
そして、その頃初の来日ツアーが組まれることを知った。
インターネットは本当に便利だ。日付やセットリストはもう忘れたな、と思っていたら、こうして確認することが出来た。アンコール前のラストに「MOYA」をやって、本当に頭が真っ白になった。アンコール中、今はもうメンバーではないブルースが肩からスネアを提げてフロアを練り歩いていた。知らない曲も何曲かあって、それも良かった(gy!beは新曲を作ってリリースという訳では必ずしもなくて、セッションを重ねながらライヴレパートリーにどんどん入れていき、あるタイミングで音源に入ったり、まだ入らなかったりする)。
当時はポートレイトも一切撮らせない、商業誌のインタビューも受けない、音源以外のいかなる商品も売らない(これは今でも。Tシャツが欲しければ自分で作れと言っていた)というアティチュードだったので、初めて生の肉体を持ったメンバーが普通の人間で、楽器を奏でている、ただそれだけの事実にいたく感動した(バイオリンのソフィさん美人だなあ、とかも思った)。
ライブのほとぼりも緩やかに持続しているなか、早々と新しいアルバムがリリースされた。
- アーティスト: Godspeed You Black Emperor
- 出版社/メーカー: Constellation
- 発売日: 2002/11/19
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先のライブで聴いた曲も入っていて、それと分かる。リリース前からの情報で、今回はセルフプロデュースではなく、あのスティーブ・アルビニをレコーディングエンジニアとして迎えると知っていたので、期待は高まるばかり。
果たして、たしかに、良いアルバムだった。だが、メランコリックな中にもあった”HOPE”の成分が見えなくなっている気もした。
アルビニの音作りがソリッドすぎるから?(事実gy!be側はアルビニの仕事が気に入らず、カナダに戻ってから自ら再ミックスしたとも聞いたきがする)ジャケットなどのアートワークが直接すぎるから?
それまでは暗喩、隠喩にとどまっていたのだが、このアルバムではタイトルの通り、アメリカ批判を全面に押し出し、裏ジャケにはチャート図が描かれていて、このCDに払った金が軍需産業に流れていく流れが描かれていた。
音楽はその意味内容があったとしても、その言葉ではない抽象性故に特別な価値を持っていると私は考えるが、もともとパンクでアナキストの彼らは本気で音楽の力で世界を変えようとしていた、のだろうか。
このアルバムに関する私の当時と今の「印象」は現時点での振り返りでしかありようがないので、逆に、ジャケットのミサイルの写真から、ああ、このビートの連打はミサイルが落ちる音だなあ、と、本人たちが実際にそう意図したとしても、よけいな感じ方をしている、かも知れない。
などと、当時、考えていたか、もはや定かではないが、そんな中、翌2003年にgodspeed you! black emperorは活動休止を発表した。
その2
へつづく…
ミラン・クンデラ『不滅』菅野昭正訳
60歳か、65歳くらいのご婦人のある仕草。異様なほど感動的だったそれは彼女の年齢や人となり、何者であるかということすら押しのけて、抽象化された、純粋で、人格を越えたものだった。「私」=「作者(≒クンデラ?)」は、そのとき目撃したそれに、アニェスという名前を想像した。
ここから始まるミラン・クンデラ『不滅』は、その「ご婦人」ではなく、「仕草」をモデルにしたアニェスを主人公とした小説である。
そうやって第一部「顔」が始まる。クンデラの小説はどれも導入が抜群にスリリングなのだが、この導入はその中でも飛び抜けている。
ある人物の「仕草」を抽象化して、「アニェス」という人物のキャラクターが沸き上がってくる。仕草=action論、イメージ論、そんな「作者」の思索と、この小説のアニェスの物語が、滑らかに、いつの間にか同時に、始まる。いや、始まらなくてはならない。考えるのと同時に創造しているのだから。
読んでいるときの時間の感覚の、不愉快ではない浮遊、(普通の)物語を読んでいるときに、自然と沸き上がってくる自意識の分裂(物語の世界に入っている自分、そんな自分を俯瞰している自分、本のページのシミや汚れに気づく自分、本筋から逸れて言い回しや語彙に関心を向ける自分…)、それが予めこの本には書き込まれているようでもある。そして、この思考の行ったり来たりが全然不愉快ではなく、自然で、自分がそう考えているかのように錯覚しさえもする。むしろこれは私には、小説よりも映画を見ているときによく感じている感覚かもしれない。
そんなアニェスの話である第一部から、小説は突如ゲーテの話である第二部「不滅」へとなだれ込み、以降アニェスの話と交互に語られていく。全七部のこれは重層的な音楽のようだ。
とにもかくにも第一章の興奮。
今日、久々に本棚から引っ張りだして、第一部を読んでみた。付箋が貼ってあったり傍線が引かれてたりしたが、これ何年前だろう。
そんな訳で、第一部のことしか今はちゃんと書けないのであった。
”L'IMMORTALITE” by Milan Kundera 1990
- 作者: ミランクンデラ,Milan Kundera,菅野昭正
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1999/10
- メディア: 文庫
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もちろん、このブログのタイトルの由来である。
さらに私は、かつて別のタイトルで書いていたシナリオに『不滅』と最後に付けた。
そして、そのあとに書いた別のシナリオも最後はタイトルを『不滅』とするのがしっくりきた。 この小説の映画化では当然ない。
「私」がご婦人の仕草に「アニェス」と名付けたのとは少し違うが、私は「不滅」という言葉と音と字面に、ふとミラン・クンデラの『不滅』から離れて、魅了されている。